1〜2年前から、お米をスーパーで買うようになった(それまでは実家から送ってきたものを食べていた)。近所のスーパーでいつも買うのは北海道のななつぼしという銘柄で、10kgで3,580円(税別)のもの。
味には満足していたが、たまには違うものを食べてみようと4,000円弱の新潟産こしひかりを買ったことがあった(写真では、ななつぼしの向かいにあるもの)。1kgあたり数百円の違いだけど、ななつぼしとこしひかりの味の差がわからず、結局いつものななつぼしに戻った。
そして、最近勇気を出して買ってみたのが千葉のふさこがねというお米。
これは近所の同じスーパーで2,980円(税別)と、いつものななつぼしより600円ほど安い。ほかと比べて値段がすごく安いし、千葉というのがお米の産地としてどうなのかもよく知らないし、10kg買うのはちょっとドキドキした。
実際食べてみたところ、ななつぼしとの味の違いがけっこうはっきりわかった。決して不味くはないし、炊きたてならば十分美味しいとも言えるけれど、なんだかお米のふっくらさかげんが違う気がした。
うまく説明できないのだが、お米のつぶが少しボソボソしているような、ふくよかさが足りないような感じ。炊きたてはそれなりに美味しいけれど、時間の経過とともに水分の抜け方が早いような気もする。
まあ簡単に言って、ななつぼしの方が確実に美味しい。
しかし食べ続けているうちに慣れてきて、最初は感じていたちょっと残念な部分もだんだん気にならなくなってきた。10kg終わる頃には、またふさこがねを買ってもいいかな、と思えるまでになってきて、つい最近も買ってきた。
そう、これで十分なのだ。
美味しいものを食べるのは幸せなことだけど、舌がそれに慣れてしまうと、普通のものを食べたとき、物足りないと思うし、よほど美味しいものを食べない限り、満足感を得るのが難しい。だから、日頃から美味しいものばかり食べているのは不幸でもあるように思える。
お米だけではなくて、外食についても同じように感じる。20代の頃は、イタリアンやフレンチなど、慣れていないお店に行くだけでドキドキワクワク。いまほど情報も発達してないから、美味しいお店もあれば、そうでもないお店もあった。
最近は、日常使いできる洋食のお店も増え、リーズナブルでも美味しい店が多い。行く前にお店のレビューなども調べられるから、どこに行ってもハズレることは少なくなった。でも、日頃からある程度美味しいものを食べていると、すごく美味しいと感じられるほどのお店もなかなか見つからない。
それもどうなのかなー、と思う。日常と非日常の使い分けをもう少し上手にしたいものだ。
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