先日インターネットで注文したまな板が届き、商品にへこみがあったので再送してもらった。

再送品をチェック
さっそく届いたので中を確認してみたら、商品と代金 ¥0の納品書が入っていた。お詫びのメモくらいあるかと思ったが、入っていなかった。
そして、肝心のまな板をチェックする。前回はプチプチで包まれているだけだったが、今回はさらにダンボールでも包まれ丁寧な梱包だった。しかし、残念なことに商品にヒビが入っていた。
側面から見るとわかりやすいが、表面にもうっすらと線が入っている。天然の木なので、使っているうちにヒビが入ることもあるらしいが、最初から入っているのはさすがに使う気にならない。もうがっかりだ。
今度のまな板も不良品なのは私のせい?
また連絡して再送してもらうか。でも再再送のまな板がちゃんとした商品だという保証はない。だったら、妥協してヒビ入りまな板を返送して、へこみのあるまな板を使うか。
いやいや、へこんだのもヒビが入ったのも使いたくない。でも、また送ってもらうのは悪い気がする。
? なぜ悪い気がするんだろう? なぜ私が罪悪感を感じる必要があるのか? 私はなにか悪いことをしてるのか?
もちろん、おおざっぱな性格の人にこのまな板が届いたなら、ちょっとのへこみもヒビも気にせず使うかもしれない。その場合は送った会社はラッキーだ。だからって、別に私は悪くないよね。へこんだ商品やヒビ入り商品が届いたのは私のせいじゃない。
友人に置き換えて考えてみる
もし友人に同じことがあったとしたら、私はどう言うだろうか考えてみる。
きっと、あなたは悪くないんだから、交換でも返品でもしてもらいなよ、と言うだろう。
つまり、友人だったらしてもいいと思っているのに、自分は罪悪感を感じて許可をしぶっている。自分を低く評価しているわけだ。
自信がないことからくるいろんな気持ち
尊大になる必要はないけれど、私だって言いたいことは言っていいはずだ。でも言いづらい。それは人から細かいやつ、と思われたり、クレーマー扱いされるのが嫌なのだ。つまり、人からどう思われるかが気になるからだ。
さらに、返品したいと言ったら相手から文句を言われるんじゃないかと思うとそれも怖い。怒られたり責められたりするかも、と思うと怖いのだ。
結局そんな気持ちは、自分に自信がないことから出てくる気持ちだろう。自信があれば、言いたいことも言えるし、仮に怒られたとしてもさほど気にならない気がする。自分を大切にして、認めていけば自信が持てるようになるだろうか。
私はこれまで、人とぶつかるのが嫌で、感情を抑え気味にして生きてきた。つまり、自分の気持ちをきちんと聞いてあげなかったり、聞いてもそれをあまり表現せずにきた。
最近はなるべく自分の気持ちを大事にしようと思っているので、その練習としてこれらの出来事が起きているのかも、とも思う。ひとつひとつの出来事を流さずに自分の気持ちを見ていくといろんなことがわかる。面倒だけど、むしろ面白いとも思える。
そして結局どうしたいのか?
今回のことで私はこの会社からまな板を買う気はなくなった。再再送してもらってもきちんとした商品が届くかわからないし、そこまでして買いたいわけじゃない。だから、まな板は着払いで返送して、注文そのものをキャンセルしたい。
そう気持ちが固まったので、土曜日に発送元にその旨をメールして、いまは返事待ちの状態だ。
しかし、同じ出来事が2回も起こると言うことは、よほど自分の気持ちを、つまり自分を大切にしろと言うどこかからのメッセージなのかもしれない。
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